−日本空手道松濤會 歴代会長−


船越 義珍 初代会長
(在任期間:1936年〜1957年)

 
近代空手道の確立に尽力した武道教育者-

【功 績】
 空手道の武道化の中心人物となったことで近代空手道の源流を作る。中国武術の文化を継承する沖縄の唐手術を日本の本土に初めて紹介するだけではなく、日本が誇る伝統武道の一つにすることを呼び掛けた船越義珍は、唐手術と武道の精神を兼ね備えることで、沖縄唐手術を近代空手道へと生まれ変わらせた先駆者でもある。
 「武術の強さだけでは人生は何も成し遂げることができない。崇高な精神と心の強さを身に付けてこそ、君子の拳として立派な青年に成りえる」と船越義珍は指導されている。松濤館流だけでなく多くの空手道の流派・会派の礎となった人物でもある。空手道は多くの先人の尽力で形成された武道であるが、日本の本土に始めて空手道を紹介し、沖縄の唐手術を空手道と名称を改めた最大の功労者として、船越義珍を空手道の祖として敬意を表する人々も多い。

【生涯・思想】
 沖縄県出身の船越義珍は、首里王府に仕えた武士である船越義枢を父として、明治元年(1868年)首里山川町に生をうけた。医学の道を志すが断念し、21歳で小学校の教壇に立ってから小学校の校長になられるまで三十余年に渡り教育界に身をおくと共に、沖縄県下の有名唐手家を訪ね歩いて秘術の伝授を受け、同志とともに沖縄尚武会を結成した。1922年に第一回運動展覧会(文部省主催)の場で、初めて日本本土において沖縄秘術の唐手術を紹介すると、1936年大日本空手道研究会を改称し、大日本空手道松濤會(現在の日本空手道松濤會)の会長に就任した。唐手術は長い間、自分の身を守るためだけに秘伝として受け継がれていたが、中国武術から継承した沖縄文化の唐手術と日本文化の武道性を兼ね備えることで、唐手術は日本の武道として空手道へと新たに生まれ変わっていった。
 その後、摩文仁賢和(糸東流)、宮城長順(剛柔流)などの多くの沖縄出身の唐手術出身の空手家との交流を深め、大塚博紀(和道流)、大山倍達(極真)などに空手道を指導した。また、空手道の普及・発展に尽力し、ヒューマニズムの精神を遵守しながら空手を争いの道具に使用することを禁じてこられた。船越義珍が人格完成の道を目指す空手道の道を求道したのは、空手道を通じて空手界だけでなく、日本の未来に大道を開かせようとした見識豊かな文武両道の優れた人物であったからであるといえる。また、1948年、戦後の稽古再開のために設立された日本空手協会の最高師範に就任されるなど様々な分野で活躍されている。人格完成を目指す船越義珍の空手道の原点は、戦争の歴史の芽をもぎ取り、これ以上悲惨な人を出したくないという祈りだったのだろうか。腕力だけに頼らない人が持つべき本当の強さを後進に伝え続けた教育者としての一面を持つ船越義珍は、1957年4月26日逝去(善正寺:神奈川県川崎市にて永眠)されるまで、空手道の普及発展に尽力した近代空手道の父的存在である。

○船越 義英 二代会長
 1957年、船越義珍逝去を境に船越義英(船越義珍の長男)が、終戦後に武道禁止令で一次解散状態にあった大日本空手道松濤會の活動を再開させた。日本空手協会から独立した当時の早稲田大学空手部等を中心に大日本空手道松濤會の組織を再編させて、現在の日本空手道松濤會を再発足させた中興の祖である。(在任期間:1957年〜1961年)

○廣西 元信 三代会長
 1933年、早稲田大学空手部に入部。船越義珍逝去後、二代会長に就任した船越義英先生を補佐し、義英第二代会長逝去後は理事長として松濤會存続と発展に貢献した。また、1995年、松濤會空手のさらなる発展のために第三代会長に就任した。(在任期間:1995年〜1999年)

○高木 丈太郎 三代理事長
 1950年、中央大学卒業と共に、三菱地所入社。1987年三菱地所社長に就任し、その後三菱地所会長及び相談役を務めるなど実業界での功績も高い評価を得ている(2003年旭日重光章受勲)。また、業務の傍ら空手道の修行を継続し、船越初代館長及び江上二代館長から継承した空手技術の伝道として松濤會空手の発展に尽力された。(在任期間:1995年〜2016年)

○中尾 秀光 四代理事長
 1968年、九州大学卒業と共に、三井銀行入社。三井住友銀行空手道部にて文武両道の精神で空手道に精進され、2001年三井住友銀行専務取締役など歴任。誰もが切磋琢磨できる空手道の道に尽力している。(在任期間:2016年〜)

※ 日本空手道松濤會会長は、日本空手道松濤會に加盟する本部道場及び日本、世界各国の支部道場の長としての役割。2007年からは特定非営利法人化により、理事長が会長職に相当する。

−本部道場松濤館 歴代館長−

○船越義珍 初代館長在任期間:1939年〜1945年)

 会長の略歴に同じ

○江上 茂 二代館長(在任期間:1976年〜1981年)
 1931年、早稲田大学空手部創設者の一人、船越義珍(ふなごし ぎちん)に師事し、船越義豪(ふなごし よしたけ)と共に空手技術の研鑽に励む。1939年、陸軍中野学校教官として武道指導。戦後、武道禁止令全面解除と共に1953年、早稲田大学空手部監督(〜1955年)に就任し、早稲田大学空手部(元松濤會所属)等を中心として競技空手ではない武道空手の合同稽古を関東の大学空手部で再開させる。その後、合気道から発展した親英体道の井上艦昭から学んだ柔拳思想に大きな影響を受けている。
 1976年、東京大空襲で焼失した大日本空手道松濤館を師匠船越義珍の遺言に従い、日本空手道松濤會本部道場松濤館として再建させるなど、松濤館二代館長として基礎作りに尽力。江上茂の生涯は、師匠船越義珍の理想であった人と争わないための平法の空手道の実現に生涯を捧げられた。

○高木 丈太郎 三代館長(在任期間:1995年〜2016年)

 理事長の略歴に同じ





○瀧田 良徳 四代館長(在任期間:2016年〜現在)
 1964年中央大学に入学と同時に空手部入部。副主将を務める。1998年中央大学空手部監督として多くの学生の育成に尽力し、2016年松濤館第四代館長に就任した(在任期間:2016年〜)。空手道の稽古から培われた人徳ある人柄は、これからの空手界の中で松濤會の立場がどうあるべきかの舵取りの手腕として、多くの門人から期待されている。





※ 平法とは、戦全興の鎌倉時代に剣術家によって伝承された言葉である。この心は「平らかに一生事なきを以て第一とする也、戦いを好むは道にあらず」、その教えの根幹は「兵法は平法なり」ということに尽きる。日本空手道松濤會の理念に通ずる道である。


※ 本部道場松濤館の館長は、本部道場として松濤會空手の技術の伝承及び本部道場の長としての役割。


 
−松濤會空手の心得−

 松濤會は、一人ひとりを大切な同志として接する。段級や役職の違いで人を差別したり、見下したりしないというのは船越初代館長から受け継がれた大切な心得である。
 立場や役職は権威の象徴ではなく、役割と使命の違いである。リーダーは傲慢にならず、稽古生のために誰にでも耳を傾けて、稽古及び人生の悩みを聞いて身を呈して尽くす。これも武道家として、大切な尊い理念である。

 
−孔仁門クラブ指導指針−

○小武人は身を守り、中武人は人を守り、大武人は社会を守る。
○先人の純粋な思いが報われる未来のため、技も心も伝え続ける。
○自分の人生をどう燃やすか? それさえ君の心にあれば、空手道の稽古は人生の教科書に変わる。

− 恩師 杉本文人先生の霊に捧ぐ − 










−孔仁門クラブの沿革−

1995年 空手道孔仁門(同好会)発足
2000年 ユニセフ・マンスリー・プログラム支援開始
2002年 全日本少年武道空手道錬成大会への参加(日本武道館主催)
2003年 神奈川県空手道交流大会への参加(日本体育協会主催)
2006年 里親制度でカンボジアの子供へ教育支援を実施(アジア交流協会)
2007年 ゴミゼロクリーンキャンペーン(湘南海岸)への参加開始  
2011年 東日本大震災による被災者支援実施
2012年 孔仁門クラブ大庭支部発足(〜2015年まで)
2013年 日本空手道松濤會の支部(指導部)承認
2013年 学生連盟演武大会参への参加(招待演武)
2015年 孔仁門クラブ創立20周年記念演武大会の実施
2016年 熊本地震災害義援金の寄付実施/第1回松濤會演武大会への参加開始


−孔仁門クラブ年間行事−

 1月 稽古始め/新年祈願祭
 2月 親子空手
 3月 孔仁門形・組手演武大会&6年生送別会
 4月 前期昇級昇段審査会(学科、実技)
 5月 クリーンキャンペーン/松濤會演武大会
 6月 6年生・指導部長との昼食会
 7月 夏合宿(合宿費:6,000円(交通費別))
 8月 お盆休み(6日〜15日)
 9月 孔仁門総会(参加対象者:練習生の父母)
10月 後期昇級・昇段審査会(学科、実技)
11月 学連演武大会
12月 孔仁門演武発表会&社会貢献者表彰
    クリスマス会
 ※ 年の最後にアンケートを実施(次年度活動方針の参考)



 
− 担当割 −

ご協力ありがとうございます。
○会場予約(受付開始:8:45分)
・平成28年
12月1日(原田)

・平成29年
○会場予約(受付開始:8:45分)
1月4日(青木)、2月1日(金田)、3月1日(小林)、4月3日(早苗) 、5月1日(井上)、6月1日(田中)、7月3日(池谷)、8月1日(加藤)、9月1日(森山)、10月2日(田村)、11月1日(小山)、12月1日(杉山)
○合宿予約
4月1日(立野、山田)